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September 11, 2004

9.11 あの日感じた憤りと悲しさと悔しさと

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追記(9/18):
ブログウォッチャーさんの3周年追悼記事に、9.11テロ発生からおよそ数週間の出来事を再体験できるサイトが紹介されていました。
http://www.mcduffy-edwards.com/attack.swf
ちょっと長いですが、ご覧いただければ、あのおそろしい日がいったいどのようなものだったのかを、現実として認識して頂けるかもしれません。
最後まで見て、あの頃の記憶や感情や疲労悲しみやりきれなさそして助け合う人々の思いやりの気持ちが、まざまざとよみがえってきました。
改めて、亡くなった方々のご冥福をお祈りします。
それでも、NYやWDCで死んだ人々は、ひとりひとりの写真が残っており、記憶が薄れて行く中でも、なお具体的なイメージをもって追悼することができるのです。おそらく写真の一枚すら残っていない、無数のアフガニスタンとイラク市民の犠牲者に思いを馳せると・・・
言葉に詰まります。
*****

あれから3回目の9月11日。あと13時間ほどで、ちょうど3年になる。

3年前、ニューヨークのツインタワーが崩れ落ちるのをこの目で見た。本当によく晴れた朝だった。空は真っ青だった。今もあの時のことを思い出すと、胸のあたりが言いようの無い重苦しさにつつまれる。
ツインタワーが無くなるなんて。東京タワーが東京の風景から消えてなくなってしまうようなものだ。

あの時の衝撃を、3ヵ月後の2001年12月に文章にした。少し長いが、このエントリの最後に添付した。
ご一読いただければ幸いです。

あれから3年。
世界史を変えた大事件の現場に遭遇しながら、その後、後追い取材をほとんどしていない。ジャーナリストとして、何にもまして取材を続けるべきことがらだったはずなのに。
なぜか。部署が変わったからだ。新しい部署の上司が、この事件を担当する部の部長と、仲が悪かった。そんな理由で、私は同時テロ取材から外された。年末に作られた特番の制作にも関与できなかった。担当部長に、いろいろな取材のアイデアを出したが、すべて無視された。
そしてそのことを、私も、サラリーマンとして、受け入れた。

9.11を思う時、事件そのものに対してあの時感じた憤りと悲しさと悔しさのカケラが思い出され、胸がギューッといたくなり、涙が出てきそうになる。
そしてその後に、本職をまっとうできなかった自分の不甲斐なさを思い出し、胸のあたりに重苦しさを感じるのだ。
どちらもつらいことなので、ふだんはなるべく思い出さないようにしている。

しかし、せめて、年に1度くらいは、この気持ちと向き合わなければ。そう自分自身を鼓舞するため、このエントリを立てた。今は徹夜明けで、文章を冷静に読み返す力も無いが、とにかく今日この日に書かねばならなかったのだ。自分のために。

つまらぬ愚痴にお付き合い頂き、ありがとうございました。

2001年12月13日
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○ 9月11日

 轟音は、聞こえなかった。
 崩れ始めた大きな大きなビルのてっぺんの形は、くっきりと目に焼き付いている。なのに、なぜか音はまったく覚えていない。
 3年間慣れ親しんだタワーが姿を消して行くのを、私は数百メートル離れた場所で見た。正確に言えば、見た瞬間、逃げるために全力で走り始めたので、すべては目撃していない。
 何が起きたのか、それが何を意味するのか。さっぱり分からなかった。分かったのは「ビルが無くなった」ということだけ。あの中にどれだけ多くの命があっただろうか。考えないようにした。信じたくなかった。
 我に返って真っ先に考えたのは「早く取材テープを支局に持ち帰らなきゃ」。 日常の義務に没頭することで、恐怖と激情を押し殺し、衝撃を心の奥にしまいこんだ。
 8キロ余り離れた支局とは、連絡の取りようが無い。電話は通じない、バスも地下鉄も動かない、タクシーの運転手たちは自分の家族のもとに急ぎ、とてもじゃないが乗せてくれない。歩き始めて1時間、「なんで今の世の中、よりによってニューヨークで歩いて素材を届けなきゃならないんだ」と泣きそうになっていた時に、カップルを乗せたタクシーが信号待ちしているのに遭遇。窓を叩いて頼み込んだら幸い同じ方向だという。やっとの思いで支局にたどりつき、早速伝送した。

○ テロに遭うということ

 ツインタワーには、毎日のように支局の仲間が取材に行っていた。私が行くこともあった。親しい知り合いが何人も働いていた。
 ニューヨークに住んでいて、知人がテロに巻き込まれなかった人はいない。どれほど多くの悲劇を、運命を分けた瞬間を、耳にしたことだろう。タバコを吸いにビルの外に出ていた、会議で隣りのホテルにいた、という人もいれば、わざわざ日本から出張中にあのビルで開かれた会議に出席し、そのまま帰らない人もいる。知人の甥は、メールで「もう助からない、僕は死ぬ」と家族に言い残して逝った。
 私があのビルにいてもおかしくなかったし、出張であの飛行機に乗っていてもおかしくなかった。もし炎の中に閉じ込められたら、どう思うだろう。もしあの飛行機に乗っていたら、突っ込んでいく瞬間、何を思っただろう。その後しばらく、毎晩のようにベッドの中で震えた。「いやだ、まだ死にたくない」、と。生まれて初めて『自衛のための戦争』という意味を理解した。
 日本のメディアは連日のように、空爆はやりすぎだ、アフガンの人々が可哀相だと論じる。アメリカで数千人もの人々が何の理由も無く殺されたことや、普通のサラリーマンだった日本人が24人も犠牲になったということが、もう忘れられている。次はあなたの友人が、あなたの家族が、あなた自身が、犠牲になるかもしれないのに。それを防ぐのに、どうすればよかったというのですか。
これだけ多くの大切な命が一瞬にして失われたという事実を、日本にいる人々に伝え切れなかったことが、ニューヨーク特派員として何よりも心残りで、自分の無力を強く感じる。
 「ビルが崩れ落ちて行く様子を思い起こす度に、言い知れぬ衝撃と憤りと悲しさと悔しさが込み上げて来ます」
 テロ発生から18時間後の中継で、涙と共に込み上げる思いを言葉にした。
 3ヶ月という時が経った今、つらいことは忘れようとする人間の生きる知恵のおかげで、あの頃の映像もずいぶんと冷静に見られるようになった。それでも、あの日感じた強い憤りと悲しさと悔しさは、忘れてはならないと思っている。
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一応お断りすると、今は、アフガン戦争に対して、もっと冷静な考えをもっている。
自分たちの土地を空爆され、見慣れた風景がすべて破壊され、米軍の攻撃に巻き込まれて多くの人が死んだ。その当たり前の痛みを、今は感じることができる。
(テロ後 世界はどう変わったか 岩波新書 新赤版 770 藤原帰一/編  
 「ヤー、アフガーニスターン、ヤー、カーブル、ヤー、カンダハール…―私たちは何者の視点によって世界を見るのか」参照)

イラク戦争は、開戦当初から反対だった。何もしなかったけど。
イラクへの自衛隊派遣については、「これで東京がいつNYのような目に遭ってもおかしくなくなった」と大変なショックを受けた。あの悲惨な光景が東京でも繰り返されるかもしれないなんて・・・。派遣の是非そのものよりも、派遣が招きうる結果の重みを本当に分かった上で決断したのか、疑問だった。小泉総理は、本当にそこまでの覚悟をもって決断したのだろうか・・・。

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Comments

語り尽くせない思いがあるはずです。私が9-11を通じて日本の人に伝えたいのは、「平和ボケ」であってはならないということです。しかし、これは言葉では伝わらないことかもしれませんね。

Posted by: NYの千里眼 | September 11, 2004 12:07 PM

トラックバックありがとうございました。
9.11を迎えて人が感じることは様々だと思います。あっしの場合は、悲しい出来事が起こった日であると同時に、アメリカの友人の子供が生まれた日でもあります。
テレビを見て思うことは、3年経って早くも事件が風化されつつあるような気がします。これはマスメディアだけの責任ではないですが、せめてマスメディアから「忘れてはいけない」というシグナルをこれからもずっと発信して欲しいと思うのですが・・・

Posted by: さいもん | September 12, 2004 11:45 AM

千里眼さん、さいもんさん、コメントありがとうございました。反応が遅くて申し訳ありません。9.11.2001というのは、誰もが、自分がどこで何をしていたかを強烈に覚えている日。みなさんそれぞれにドラマやトラウマがある日です。
千里眼さんご指摘の「平和ボケ」は、本当はものすごく幸せな状態なんだと思います。それが、着々と知らないうちに崩れていることを、漠然と恐ろしく感じています。
さいもんさんのいう「事件の風化」は私も強く感じます。「忘れてはいけない」というシグナルを発信すること、今回は私はできませんでした。申し訳ありません。

Posted by: ゆびとま | September 16, 2004 05:56 AM

ゆびとま さん
トラックバックありがとうございます、そして、貴重な実体験談を読ませていただいたことにも感謝します。事件の日は、テレビ中継で見ていたくらいで、正直、対岸の火事を見ている感じでしたが、実際は、とてつもなく想像もできないことが起きていたことを、恥ずかしながら、後で認識した次第です。 現場にいて、死と直面したら私よりも数百倍の衝撃や戦慄を覚えたとお察しいたします。いろんな人の人生を変えることになった事件でした。多くの日本人は、もはや忘却の彼方で、日々テロによって多くの命が奪われていることさえ、気にかけていません。悲しいことです。
機会ある度に、何度も見直して、自らの戒めにしております。ゆびとまさんもPTSDにだけは気を付け下さいね。
どうもでした〜 (^_-)☆

Posted by: purple | September 18, 2004 05:19 AM

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